【悲報】いじめはなくならない。学生時代とブラック企業を振り返ってみて思うこと。
☆はじめに
語弊があるかもしれませんが、いじめてる人達にはイジメてやると思ってワザといじめてる人もいますが、中にはいじめようと思ってイジメてない場合も多いです。
☆私の実体験
私も中学生の時に私にいじめられたと言われたことがあります。
確かにイライラした時に殴ったり叩いたり八つ当たりしていたので、客観的に見たらその人は私にいじめられていた様に見えると思いますが、当の本人である私自身はいじめようと思って殴ったり叩いてのではなく、相手してやってる・構ってあげてるって思っていました。
酷い話で反省しております。信じてもらえないかもしれませんが当時の私は「よし、いじめてやるぞ」と全く意識しておらず、不思議な事に戯れてる程度にしか思っていなかったのです。
いじめられたと言われたので、「なんで嫌なのに俺と同じグループにいたんや、別の奴と遊べば良かったやん!?」と言うと「他に相手してくれる奴おらんかったから仕方なく」と言ってました。
そして、私もブラック企業で初めていじめられたと感じて辞めましたが、おそらく私をいじめていた張本人達はいじめてるつもりはないのだと思います。
よくよく振り返ると、私をいじめてた人達は私に対して愛の鞭だのツッコミが必要だの厳しくしないと等いろいろ都合よく自分達を正当化するような台詞を言っていました。
おそらく私が彼ら彼女らにいじめられたと主張したとしても寝耳に水で驚かれることでしょう。
☆私が言いたいこと
ここまでの話でわかるように、いじめてる側といじめられた側の認識に乖離が存在しています。
このことからわかるように、いじめかどうかは受け取り手側の主観が決めると言っても過言ではないため、受け取り手側がいじめられていると思えばそれはイジメであり、いじられていると前向きに捉えるならそれはイジメではないのでないでしょうか!?
セクハラ・パワハラ・モラハラ等いろんなハラスメントは受け取り手側が全てであると言っても過言ではない。
いじめは法制度があっても罰則規定があっても道徳的に倫理的にダメでも、いじめはイジメられてると思う心がある限り、一生社会から無くならないだろうと思います。
最後に、イジメは結局、憎しみやトラウマしか生まないのでやめてほしい。